2024/05/25 07:19
前回の続き
(すみません、いつものことですが、これについて書こうとするとブログ記事が何度も勝手に消えたりと妨害されて煩わしいので、手短に書かせていただきます。本当はもっと情緒入れて書きたかったのですが、残念🙏)
4月6日の明け方、
航空券を購入し、その日のうちに家を空けることにしました。
荷造りと、戸締りをきっちりしてから家を出て
空港まで高速バスで3時間半
関西空港に到着して チェックインカウンターに直行すると
右耳が聴こえない。中耳炎だろうか?
え?まじで聴こえないんですけど…
「やっべーこれでは仕事(議事録作成とか)ができない」と心配になり
呆然としたまま飛行機に搭乗
離陸するとビリビリーっと 右耳に激痛が走り
乗り継ぎ地である中東の都市アブダビに着くころには
心身ともにボロボロでした(-。-)y-゜゜゜なんか一服してたらインドの人に話しかけられたけど、何言ってるのかわっかんなかった
・・・
去年の夏は、マダガスカルの伝統葬儀である「ファマディアナ」に
マミーもファンザも、私も家族一同が参列しました。
「ファマディアナ」は太古よりマダガスカルで引き継がれる
先祖の霊に敬意を表し、死者を担いで踊るという伝統奇習です。
日本から初めて参加したわたしにとって
「4(し)の儀式」であり「4への恐怖心を超えるイニシエーション」でした。
しかしマミーは伝統に反し、自らの臨終の末には火葬を望んでいました。
日本人にとっては普通な「火葬」も、マダガスカル人にとっては非常に奇異な伝統に映るようです。
伝統に反対することが全部悪いとか、そういう強硬派な考えは周囲の人にありませんでしたが
まさか、こんなふうに実現しなくたっていいじゃんか…
・・・
そんなことを、痛みに耐えながら考えているうちに、
やっとパリに着きました。
やっパリ、パリは混んではるなぁ
ものすごい大勢の人々が入国審査の長蛇を作っています。
今年オリンピックだから厳しくしてるのでしょうか?
2時間くらい経って ゼーハー言いながら ようやく入国すると
ファンザと、次男のアリーが迎えてくれました。泣いてる…無理もないよね
すぐに車で、長男マミーがいる病院へ向かいます。
夕方、病院に到着すると、家族親戚が待っていました。
ついにこの時がきてしまった
ベッドに横たわる マミー兄貴の体
寝ているかのよう 本当に、昼寝しているだけのよう
「マミー!う、う、嘘だろう!」
思わず叫んでしまいました。
止まらない嗚咽と涙。駆け寄り、ひんやりとした感触の手を握る
ピクリとも動かない、いつも通りの兄貴の体
嘘…もう生きていないのかい…
寝ているだけに見える けど体は計器につながれて
心臓がかろうじて動いているだけでした。
「なんで、なんで、なんで、こんなのってないよ…」
私もファンザも、白龍の水晶を握りしめ
圧倒的な現実感を持つこの光景を受け入れるしかありませんでした。
・・・
残念ながら、死因について詳しく書くことはできません。
しかし、マミーは不幸な事件の結果、こうなりました。
誰も予想していませんでした。
マミーの両親、つまりファンザのご両親は
第一発見者として、その場面を目の当たりにしてしまいました。
それからというものの、二人ともPTSDの一種であるサバイバーギルトに悩まされています。
あの光景がフラッシュバックするのです。これは本当にキツイ。
だから少しでも、確かなもの、物質に縋りたくもなります。
たとえば思い出の詰まった物があれば大事にとっておきたいし
写真だって一枚も失くしたくないし
体だって無くなってほしくないはずです。
・・・
しかしマミーを脳死、植物状態のままにしておくことは
遺族にとって更なる苦痛を生む原因になりかねませんでした。
なぜなら、こういうとき、人は
「自分が助けられたかもしれないのに」という危険な驕りを持つようになるからです。
遺族は知らず知らずのうちに、「自分がついていれば、マミーは助かっていたんじゃないか」と悩むようになっていました。
NO、それは違う
結局のところ、人はだれかを救うことはできません。
救った「つもり」になることも 救われた「つもり」になることも
すべては自分で選んだ結論であり
人生で我々ができることは「選択」しかありません。
しかしどんな選択であろうと、その意思決定は絶対的な権力を持ちます。
一度覚悟を決めた人を説得しても
その選択を変える力は 自分たちにはないのです。
マミー兄貴、これは、あなたの選んだことだから(お察しください)
自分たちには、何もできなかったんだ あなたを助けることなんて
どうやってもできない この未来は確定していたんだ。
「…あ、右耳の耳鳴りがいつの間にか治ってる」
治る未来しか、さいしょから自分の中で決めてなかったから
そうなった それだけのこと
・・・
私は、「4ぬ」こと自体は、悪いことじゃないと思っています。
生きていたら、必ず死ぬ
死も永遠の「生」の一部。
それを正義とか悪とか、決めつけるのはおかしい。
4ぬのを怖がるのは、それにまつわる「苦痛」に恐怖しているからだと思うんです。
ですが、苦痛を経験するために我々は生まれ変わってきたのではないし
苦痛が過ぎる肉体を去るという選択を 自ら取ることも
遺族の心に大きな苦痛を伴うという点を除けば
尊い決断として、主観で邪魔をせずに見送ってあげるのが
本当の自分なのでは。
私は知っている。視えているんだ。
マミーは 虹色にきらめく白龍の背に乗って
束縛の「この世」から 自由自在なる「あの世」への旅立ち
いつかまた戻ってくる
この世とあの世を同期させるために
天と地を合一させるために。
すべての色の龍の長である
白龍の背に乗って
・・・
またも制限で次回に続きます。